プロフィール

平林 遼 指揮者
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2017年12月6日水曜日

YouTubeの成果

YouTubeを2月ごろから本格的に始めました。
http://www.youtube.com/subscription_center?add_user=RyoHirabayashi
(よろしければ↑チャンネル登録お願い致します。)
間3か月くらい放置することなどもあったので、そこまで力を入れていたわけでもなかったところもあります。
現在の顕著な成果としては、
指揮法や指揮レッスン、指揮初心者などと入れると、GoogleもしくはYahooの検索で動画検索でなくとも、私の動画が出てくるようになりました。
あとはなぜか、読書術や読書法でも、並み居る著名人をおさえてなぜか私の動画が1位検索に・・・笑
Googleのアルゴリズムはそう単純でもないのでしょうからよくわかりませんが、意外な成果に驚いています。
やってみることで、全然検索にひっかからないものあれば、逆のものもあったり、少しずつ、ちょっとしたコツなども見えて来ますね。
手を加えなくても一日300回くらいは平均再生されているようです。

まだ、ゲーム実況や、おもしろいことやってみた、以外の何かの専門分野でYouTubeやっている人はそこまで、いません。

私が今年2月から初めて、まだチャンネル登録者数173人でほどほどの成果ですが、実は、ニッチの分野にしては割と頑張っているようです。
http://www.youtube.com/subscription_center?add_user=RyoHirabayashi

2017年11月18日土曜日

未来の音楽の姿 1

クラシック音楽が残ってきた要因は、ヘーゲル的な歴史の中心的天意みたいなものがヨーロッパ大陸にあの頃あったことと、(中世ではイスラム世界の方が科学技術・数学なども進んでいた。その後、世界の中心軸はアメリカの大発展に力を貸したかの様に見える。)
取り扱ってきたテーマが、天上的な美もしくは天上の世界そのものであったこと。
これらのテーマは普遍的な価値・精神性が高いので時間経過の後も残った。
私はポップシーンの音楽の大衆の心を掴む力を大変尊敬しているが、バッハやモーツァルトほど残らないと思う。
それは時間を超えた普遍性の問題だから。
現在のPOPSは消費性が強いと思うが、Classicの作品は消費されるつもりはなく、普遍的であろうとした。
ただ、これらClassicも時代がアップデートを要求していると思う。
それ即ち西洋古典音楽の宿命だが、西洋・ヨーロッパ・キリスト教文化圏の枠を超えていないところがあるからである。
(ちなみに古典派の3人に代表されるように、有名な作曲家の内、キリスト教的メッセージが主題でない作家達もそこそこ居るが、やはりヨーロッパの空気とキリスト教文化は広義の意味で、当然強い相関性がある。)
簡単に言うと、(これから)人類はヨーロッパの音楽でも、キリスト教文化圏の音楽でもなく、全地域的なそれを必要とする。
音楽の標準化に成功したのはヨーロッパ圏に他ならないが、これからは特定の地域性を超えた音楽の登場が求められる。
それこそが、未来の音楽であり、未来の“現代”音楽である。
ジョン・ケージの沈黙の先に新たな音楽は産まれてこないので、探求すべきは方法論ではなく音楽の中身、目的、意味であったということに、この先気づくことになると思う。
これ自体は当然と言えば当然なのだが、彼ら(ジョン・ケージ等)の様な試みもあったことは、後世の専門家が振り返ることもあるかもしれない。
キリスト教・キリスト教圏の文化・芸術は人類の大いなる遺産であると思うが、例えば私は日本人であり、偉大で巨大なキリスト教文化は、同様に偉大で巨大な東洋の声を代弁し得ない。
私たちには仏教があり儒教や道教や神道もある。
(ちなみにヨーロッパは様々な国を植民地支配していったが、あえなく続かずに撤退。)
ベートーヴェンやハイドン、シラー、ゲーテが信じ、想定していたような至高の神(宗派を超越した神概念。ちなみにこれが有名な第9シンフォニーのメッセージでありテーマ。)的な観点に立たない限り、西洋文化が東洋文化を支配したり、説得することが出来ない問題は、解決し得ない。
西洋の文化・思想・宗教、どれも大変普遍的で優れた点があるが、それ即ち、西洋は東洋に対して優位であるということを意味しない。
(ヨーロッパの植民地政策は、自分たちは優位であるという意識が根底にあったということになるが、東洋・西洋、それぞれにどちらも良し悪しがあるので、この見解は違うと思う。)
ということで、ヘーゲル的にアオフヘーベンすればいいだけのことで、東洋と西洋を統合した文化や音楽が誕生することになる。
論理的に考えればおそらくこれが未来の音楽の必然になる。

2017年6月21日水曜日

コンクール出場権獲得、予選通過

予選を通過して、ベルギーの国際オペラ指揮コンクール本選に出場権を得ました。選全世界から選ばれた49人のうちの1人に入りました。



指揮のコンクールって本当審査基準良く分からないので毎回謎ですが(笑・・・けど実話)、まぁ、マイペースに臨んでいきたいと思います~。

このような挑戦はこれからもずっと続いていくことなので、淡々と取り組んで参ります~。とりあえず予選通って良かった。世界から49分の1だから、そこそこの倍率ですね。

49 candidats retenus

20 nationalités 

5 épreuves

Tous se tiennent prêts pour la première édition du « Concours Fondation Polycarpe – Concours International de Chefs d’Orchestre d’Opéra » ! 

Du 18 au 26 août 2017 à l’Opéra Royal de Wallonie-Liège 

Renseignements et réservations sur http://bit.ly/2sLGpJY

2017年5月15日月曜日

Sibelius - Symphony No 2 in D major, Op 43  シベリウス 交響曲第2番 第1楽章

YouTubeの話

私、もともと文章打つのが好きで、ブログ的なのとか、ちょっとした論文的なものとか、詩みたいのとか、大学入ったくらいから書いてました。
読書も好きではあるので。
ただ、最近、複数の理由から、講義形式というのかな?短めにしてますけど、動画で話す
形で、音楽関係のこと上げ始めました。
理由はいくつかある中で、例えばですが、
自分自身が、何か学びたいことがあるテーマがあったとして、講義形式で専門の人にしゃべってもらうのが一番すんなり入ってくる、頭に定着した感じがあり、じゃあ、同じようにやってみようかな、と思ったことがあります。
YouTube内で伸びてるチャンネルの多くが、子供向け、もしくはバラエティー的な内容なので、硬めの内容だと全然、再生もチャンネルも伸びないことの方が多いようですが、1か月ちょっと前くらいから載せ始めたチャンネルも、一応微々たる成長を見せています^^;
この微生物の動き的な成長が、めっちゃ嬉しいです^^;

チャンネル登録者数というのは重要で、これが数が多ければ、検索でも上位に表示されやすくなったりするみたいで、31が32になったとか、とても嬉しいです。

今後も頑張ります。

2017年5月5日金曜日

音楽の歴史を総覧する①

最近動画投稿しておりましたが、もともと文章書くのは好きです。
動画でしゃべっているようなテイで、ラフに書いていきます。
元々音楽は、私の考えるところでは、宗教的なものと共にあったと思います。
それが原型であり、最古の姿ではないのかと思います。
儀式なんかに音楽が必ず伴うイメージ、ありますよね。
なぜ音楽が存在するのか、という問いに対してですが、 この世に音が存在するからでしょう。 聴覚というものも存在します。
匂いがあって、嗅覚が存在し、この世界は物質を視覚で認識することが出来ます。
もうこれは世界の仕組みそのものなので、創造主にでも聴いてみない限り理由は分かりません。

まぁ、おそらく、天上の世界にも視覚的な要素も音も存在するのでしょう。 こうした音楽ですが、ある程度獏としてあったものが、「楽器」や「楽音」が生まれることによって、かなり飛躍的な発展を成し遂げられたと思いますが、とりわけ凄かったのはやはり西洋音楽の発展・発達、歴史でしょう。

バッハやベートーヴェン、モーツァルトを代表として、その後のロマン派の作曲家、近現代の作曲家も、すごい山脈を気づくことが出来ました。

この西洋音楽における楽器と確固とした音楽システム・文法の開発は、神仏の創造と言えるような巨大なものでした。

ヘーゲル的に言えば、ここに神の計画があったということでしょう。

2017年4月1日土曜日

初心者指揮法入門ー指揮をしている時に何を考えているのか

演奏する際のテンポの決め方(題材:ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 悲愴)

分かりやすいクラシック音楽入門①まず何から聴けば良いか

演奏する際のテンポの決め方①

初心者のための指揮法入門③音の出るタイミング

楽譜は読めた方が良いのか

フレージングなどの話(題材:ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第1番 第2楽章)

2017年3月11日土曜日

ポップスとクラシック音楽の関係

ポピュラー音楽とクラシック音楽の関係性について考えてみます。
私自身もhideなど昔聴いておりましたし、最近では水曜日のカンパネラなどに興味があります。

2017年2月11日土曜日

『芸術は調和の原理に属する』



宇宙には進化と調和の原理が働いていると考えると、物事バランスよく見えてくることがあります。

科学は進歩を求めますし、政治なども、よりよい国づくりを目指して行われるため、進化の要素を含んでいると、分類してみます。

哲学などの学問も、より高次な真理の追究というところでは、進化的な要素を含んでいるかもしれません。



より良いもの、高次を目指すということは、競争概念を生み、人や物事それぞれに、優劣がつけられます。

当然、世界がこの進歩の原理だけになってしまったら、競争と破壊のみの世界に近づいていくため、もう一方の調和の原理も大事です。



調和の原理を代表しているのは古代中国の老荘思想で、いわゆる芸術という分野も、基本的にはこの調和の世界を体現しているというか、受け持っているといえます。



(老荘思想とは、あくせくしなくてもいい、飾らなくてもいい、働かなくてもいい、ありのままの自分が素晴らしい。せっせせっせと力んで、心が荒んでいるのでないか。のんびり無垢な心で、自然と同化することが出来れば、こんな素晴らしいことはない。みたいな教えですね。)



仏教では、ひとりひとりが修行によって悟りを高め仏に近づくという進化発展の要素を含んだ教えもありますが、慈悲の色彩が非常に強い教えで、キリスト教などの愛の教えも、基本的にある種の調和性を現しているか、もたらしているとも言えます。



ちなみに、厳しさもやさしさも、人間にはどちらも必要です。調和だけですと、停滞や怠けが発生してしまいます。



さて、世の中に調和や色彩、潤い、癒しなどをもたらすための芸術ですが、あくまで芸術も手段なので、そこに(目的としての)破壊性や残虐性を込めることも出来れば、光を込めた神聖な作品を創ることも出来ます。



また、ベートーヴェンのように、音楽に進化の原理を持ち込み、既成の調和を打ち壊すことで、新しい発展をもたらしたようなケースもありました。



彼はその意味で、音楽であって音楽ではないところがあると言えます。



哲学的思考や、宗教的思考は、より高次の概念や神仏を求めますので、悪いことは悪いと、善悪や価値の優劣もはっきりと別けていく営み、と言えます。



それに対し、芸術においては、趣味の世界と言いますか、シューベルトが好きでもワーグナーが好きでもショパンが好きでも人それぞれで、必ずしも普遍的な真理を一方向に目指していくとは限りません。



人の個性はそれぞれで良い、と、とりあえず全てを肯定するところがあるのが、調和の原理の特徴でもあります。



しかし、例えば、ベートーヴェンの場合は、音楽における真実とは何かと、必死に思想的な格闘を繰り広げた跡が伺えます。



ですがやはり、本来的には、芸術の世界には調和を体現した作品の方が多いのかと思います。



それは芸術本来の目的が、調和を基としたものであり、キリスト教などの宗教であれば、教義が難しくて分からない人でも、聖歌や宗教画を通して、何か神聖なものを感じてもらおう、ということだったのでしょう。

こうした宗教においても、芸術は例えば読み書きの出来ない人にも光を感じ取ってもらうためのツールでもあり、その意味では、やはりソフトな面があります。



高次の概念に向かっていくというより、高次の概念を下位に対して、薄めてでも広げていくというような感じですね。





・芸術は進歩と調和の原理のうちに調和に属する

・調和の原理は峻別や競争を求めず、それぞれを肯定する。

・芸術に進化の原理を持ち込んだ一例としてのベートーヴェン(哲学的思索、宗教的理念の追求)

・芸術は本来調和性を基したツールであるが、目的として破壊や進化などを含ませることも当然可能。

・至高の真理を求める宗教においても、誰にでも神の臨在を感じてもらえるよう、芸術を用いてきた。学問や修行を通さずして、感覚的に訴える力のある芸術の優位性。





そんな芸術においてですが、調和性に偏りすぎて、芸術家個人の人生においては問題が起こることもままあります。

個々の人生においてはビジネス的、合理的判断も大事ですが、芸術家気質が過ぎるとそれも抜けてきます。

またそういった気質が、システマティックに物事を判断しなくてはいけない分野などにおいては、物の見方を一方の極に寄せてしまうことも見受けられます。



ということで、大きな枠組みでは調和性を基としているアートですが、またこの二大原理ともいえる進化・調和として各論を考察してみると、明らかになってくる部分もあると思います。

逆説的ですが、芸術家だからといって、調和性だけに傾き過ぎるとバランスを崩すこともありますし、芸術といっても、芸術だかなんだか分からない代物も混ざっていたりすることもあります。

2017年1月3日火曜日

「音楽は祈りの具象化」



祈りというのは私にとって不思議なことでした。

祈ってどうなるのか、ただの迷信的な行為なのかと思っていました。



何らかの形で祈るというのは、世界の主要な宗教全てに共通しています。



何のために祈るかというと、それは天上の神なる存在、東洋的に言えば仏とつながるためですが、現代では、ただの作法として形式的に終わってしまっていることも多いでしょう。



キリスト教を見れば顕著ですが、教会建築・美術や音楽で、より神聖なるものを感じやすくさせています。

また音楽でその空間を神聖なものにすることで、人々が祈りやすく、天上につながりやすい環境をつくっています。



これは一見当たり前のことですが、実際に音楽には人と天をつなげる力があるということです。ただ、気分のためではありません。



日本人では実感が湧かない人も少なくないかもしれませんが、神に祈るというのは世界的に見たら標準的行為であり、欠かすことの出来ない行為として捉えている人の方が多いのです。



クラシックには祈りが具体化されたような曲が数多くありますので、彼らの作品によって、実際に祈りの効果が上がるということがあります。



ちなみにキリスト教だけではなく、ベートーヴェンの第9の様に、至高神にささげるためのメーソン的音楽や、神道の神楽などもあり、そもそも音楽は発祥において宗教的なものと共にありました。



それぞれの宗教の音楽には素晴らしいものがありますが、それぞれの宗教を超えた音楽が今後誕生していくと思います。



キリスト教音楽だけでは東洋やその他の文化の代弁者となりきることは出来ず、西洋音楽の普遍的な語法は地球音楽とでもいえるようなものに、形態を変えていくと思いますし、更に宇宙的なものにその表現規模は拡がっていくと思われます。