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平林 遼 指揮者
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2017年11月18日土曜日

未来の音楽の姿 1

クラシック音楽が残ってきた要因は、ヘーゲル的な歴史の中心的天意みたいなものがヨーロッパ大陸にあの頃あったことと、(中世ではイスラム世界の方が科学技術・数学なども進んでいた。その後、世界の中心軸はアメリカの大発展に力を貸したかの様に見える。)
取り扱ってきたテーマが、天上的な美もしくは天上の世界そのものであったこと。
これらのテーマは普遍的な価値・精神性が高いので時間経過の後も残った。
私はポップシーンの音楽の大衆の心を掴む力を大変尊敬しているが、バッハやモーツァルトほど残らないと思う。
それは時間を超えた普遍性の問題だから。
現在のPOPSは消費性が強いと思うが、Classicの作品は消費されるつもりはなく、普遍的であろうとした。
ただ、これらClassicも時代がアップデートを要求していると思う。
それ即ち西洋古典音楽の宿命だが、西洋・ヨーロッパ・キリスト教文化圏の枠を超えていないところがあるからである。
(ちなみに古典派の3人に代表されるように、有名な作曲家の内、キリスト教的メッセージが主題でない作家達もそこそこ居るが、やはりヨーロッパの空気とキリスト教文化は広義の意味で、当然強い相関性がある。)
簡単に言うと、(これから)人類はヨーロッパの音楽でも、キリスト教文化圏の音楽でもなく、全地域的なそれを必要とする。
音楽の標準化に成功したのはヨーロッパ圏に他ならないが、これからは特定の地域性を超えた音楽の登場が求められる。
それこそが、未来の音楽であり、未来の“現代”音楽である。
ジョン・ケージの沈黙の先に新たな音楽は産まれてこないので、探求すべきは方法論ではなく音楽の中身、目的、意味であったということに、この先気づくことになると思う。
これ自体は当然と言えば当然なのだが、彼ら(ジョン・ケージ等)の様な試みもあったことは、後世の専門家が振り返ることもあるかもしれない。
キリスト教・キリスト教圏の文化・芸術は人類の大いなる遺産であると思うが、例えば私は日本人であり、偉大で巨大なキリスト教文化は、同様に偉大で巨大な東洋の声を代弁し得ない。
私たちには仏教があり儒教や道教や神道もある。
(ちなみにヨーロッパは様々な国を植民地支配していったが、あえなく続かずに撤退。)
ベートーヴェンやハイドン、シラー、ゲーテが信じ、想定していたような至高の神(宗派を超越した神概念。ちなみにこれが有名な第9シンフォニーのメッセージでありテーマ。)的な観点に立たない限り、西洋文化が東洋文化を支配したり、説得することが出来ない問題は、解決し得ない。
西洋の文化・思想・宗教、どれも大変普遍的で優れた点があるが、それ即ち、西洋は東洋に対して優位であるということを意味しない。
(ヨーロッパの植民地政策は、自分たちは優位であるという意識が根底にあったということになるが、東洋・西洋、それぞれにどちらも良し悪しがあるので、この見解は違うと思う。)
ということで、ヘーゲル的にアオフヘーベンすればいいだけのことで、東洋と西洋を統合した文化や音楽が誕生することになる。
論理的に考えればおそらくこれが未来の音楽の必然になる。