コロナコロナと言われて、とても困った。第一に、我々舞台人は真っ先にコロナ砲直撃を受けたわけだ。仕事は悉く無くなった。会社勤めであったとしたら、給料が何か月分か強制的に停止して、更に今現在も仕事はほんの僅かしか再開していない。実害、実被害の山である。そんな中、ベートーヴェンを演奏する機会を、今回の主催の方が我々に用意して下さった。捨てる神あれば拾う神あり。
ベートーヴェンの人生も大体そんな感じだったのかも。近年の研究では、ベートーヴェンには二人子どもが居たことになっている。(ベートーヴェンの子どもとしては育てられていない。)モテなかった訳ではない。詳しく書物など読んでみれば、色んな顔が見えてくる。
「ベートーヴェンの精神分析」(福島章著)では、交響曲第8番は、初めての我が子が産まれてくることを知って喜んだ時に創られたとのことだ。私であれば、自分が育てるわけでもないのに、などと普通のことを思って心配してしまうものだが、時代感覚なのか、やはり先生はぶっ飛んでおられたのか。二人の女性との間にベートーヴェンの遺伝子を継ぐ者が二人誕生していたらしい。(二回同じこと書きました。)素直に嬉しかった気持ちが分かるような、分からないような気もする。
この曲は珍しく一気に書かれたようだ。モーツァルトみたいに。「アテネの廃墟」序曲も、気軽に割と速書きだったようだ。ベートーヴェンはハンガリーのブダペストに「アテネの廃墟」や「シュテファン王」といった劇音楽を上演するために旅に出たようだ。私もブダペストに行った際は、ベートーヴェンが泊まったという宿が、小さな音楽博物館?みたいになっていて(確か)立ち寄ったことがある。
テプリツェやハイリゲンシュタットを回った時も思ったが、なんだか彼の軌跡を追うだけで感慨深いというか、大げさに言うと泣きそうになる。
泣きそうになると言えば、今日のアンコールでやる曲は(ネタばらし)ベートーヴェン本人もお気に入りだったようだ。本当に泣けてくる。泣きましょう。
コロナで直撃を受けた業種にGo toを冠したキャンペーンが行われるようだが、気休め程度かもしれない。我々音楽家は今後どうやって生き抜いていくのか、私個人のことで言えば、これまではヨーロッパによく行っていたのに、今年は一回も行けなかった。更に個人的なことで言えば、去年はイタリアで受賞が続いたのだが、そんな気分はどこへ行ったのか、今年は前に進めた感じがしていない。音楽家は多くの人が同じような気分を味わっているのではないか。
ベートーヴェンのことを考えよう。ほとんど修行僧のように生き抜いた苛烈さと、湧き出て止まなかった創造の使命感。僕も何かに突き動かされて今日まで音楽をしてきたんだから、何に見舞われても、心の内なる衝動の火に真っすぐに、進まねばならない。進まなければならない。我々の内にある神聖をこそ振りまくことこそが、私達人間の、人生の本懐である。そんなようなことを彼は言っていたな。
(2020年9月30日23時頃) 平林 遼