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2017年2月11日土曜日

『芸術は調和の原理に属する』



宇宙には進化と調和の原理が働いていると考えると、物事バランスよく見えてくることがあります。

科学は進歩を求めますし、政治なども、よりよい国づくりを目指して行われるため、進化の要素を含んでいると、分類してみます。

哲学などの学問も、より高次な真理の追究というところでは、進化的な要素を含んでいるかもしれません。



より良いもの、高次を目指すということは、競争概念を生み、人や物事それぞれに、優劣がつけられます。

当然、世界がこの進歩の原理だけになってしまったら、競争と破壊のみの世界に近づいていくため、もう一方の調和の原理も大事です。



調和の原理を代表しているのは古代中国の老荘思想で、いわゆる芸術という分野も、基本的にはこの調和の世界を体現しているというか、受け持っているといえます。



(老荘思想とは、あくせくしなくてもいい、飾らなくてもいい、働かなくてもいい、ありのままの自分が素晴らしい。せっせせっせと力んで、心が荒んでいるのでないか。のんびり無垢な心で、自然と同化することが出来れば、こんな素晴らしいことはない。みたいな教えですね。)



仏教では、ひとりひとりが修行によって悟りを高め仏に近づくという進化発展の要素を含んだ教えもありますが、慈悲の色彩が非常に強い教えで、キリスト教などの愛の教えも、基本的にある種の調和性を現しているか、もたらしているとも言えます。



ちなみに、厳しさもやさしさも、人間にはどちらも必要です。調和だけですと、停滞や怠けが発生してしまいます。



さて、世の中に調和や色彩、潤い、癒しなどをもたらすための芸術ですが、あくまで芸術も手段なので、そこに(目的としての)破壊性や残虐性を込めることも出来れば、光を込めた神聖な作品を創ることも出来ます。



また、ベートーヴェンのように、音楽に進化の原理を持ち込み、既成の調和を打ち壊すことで、新しい発展をもたらしたようなケースもありました。



彼はその意味で、音楽であって音楽ではないところがあると言えます。



哲学的思考や、宗教的思考は、より高次の概念や神仏を求めますので、悪いことは悪いと、善悪や価値の優劣もはっきりと別けていく営み、と言えます。



それに対し、芸術においては、趣味の世界と言いますか、シューベルトが好きでもワーグナーが好きでもショパンが好きでも人それぞれで、必ずしも普遍的な真理を一方向に目指していくとは限りません。



人の個性はそれぞれで良い、と、とりあえず全てを肯定するところがあるのが、調和の原理の特徴でもあります。



しかし、例えば、ベートーヴェンの場合は、音楽における真実とは何かと、必死に思想的な格闘を繰り広げた跡が伺えます。



ですがやはり、本来的には、芸術の世界には調和を体現した作品の方が多いのかと思います。



それは芸術本来の目的が、調和を基としたものであり、キリスト教などの宗教であれば、教義が難しくて分からない人でも、聖歌や宗教画を通して、何か神聖なものを感じてもらおう、ということだったのでしょう。

こうした宗教においても、芸術は例えば読み書きの出来ない人にも光を感じ取ってもらうためのツールでもあり、その意味では、やはりソフトな面があります。



高次の概念に向かっていくというより、高次の概念を下位に対して、薄めてでも広げていくというような感じですね。





・芸術は進歩と調和の原理のうちに調和に属する

・調和の原理は峻別や競争を求めず、それぞれを肯定する。

・芸術に進化の原理を持ち込んだ一例としてのベートーヴェン(哲学的思索、宗教的理念の追求)

・芸術は本来調和性を基したツールであるが、目的として破壊や進化などを含ませることも当然可能。

・至高の真理を求める宗教においても、誰にでも神の臨在を感じてもらえるよう、芸術を用いてきた。学問や修行を通さずして、感覚的に訴える力のある芸術の優位性。





そんな芸術においてですが、調和性に偏りすぎて、芸術家個人の人生においては問題が起こることもままあります。

個々の人生においてはビジネス的、合理的判断も大事ですが、芸術家気質が過ぎるとそれも抜けてきます。

またそういった気質が、システマティックに物事を判断しなくてはいけない分野などにおいては、物の見方を一方の極に寄せてしまうことも見受けられます。



ということで、大きな枠組みでは調和性を基としているアートですが、またこの二大原理ともいえる進化・調和として各論を考察してみると、明らかになってくる部分もあると思います。

逆説的ですが、芸術家だからといって、調和性だけに傾き過ぎるとバランスを崩すこともありますし、芸術といっても、芸術だかなんだか分からない代物も混ざっていたりすることもあります。